平等に死は訪れる

どんな人でも、死んでしまう。いまのところその事実は間違いない。

親や生まれる場所を選ぶことはできないけれど、その後手に入れようと努力する「自分なりの生き方」を如何に行使するかが人生なのだとしたら、最後にまた、選択の余地のない死を与えられることに、どのような意味があるのか知りたい。

中村哲さんが亡くなった。

ペシャワール会の名前を知ったのは最初の大学にいた頃だから、もう20年も前になる。この20年で世界は変わったような気がするけど、何も変わっていないような気もする。なのに自分の人生は大きく変化した。ように思う。いやもしかしたらのほほんと過ごしていることは何も変わっていないのだから、ただ年老いただけで、何も変わっていないのだろう。人の人生は短く、地球の歴史は長い。

ふと、この人が亡くなることと自分が死ぬこととの価値の違いについて考え始めたのだけれど、意味がないのでやめた。

本当に大切なものは何かを追い続けて、人を助けた人だった。本当に大切なものは何かを語れる誰かを失ったことが、心に痛い。

自分だろうが他人だろうがなんだろうが、本質というものはそれほど変わらないのではないか。そういう直感だけが、本当に大切なものを探す道を支えている。



TEXT

AI EHARA's WebSite TOPpageには日々のつぶやきをブログ形式で掲載しています。現在の活動の詳細はABOUT ME・WHAT I DOのページへどうぞ。